陸の孤島☆ボロジノ島やうふあがり島と呼ばれる南大東島2泊3日旅行記
目次
Travel Journal of an inaccessible land “Minamidaitoujima-island" (Remote-island near Okinawa) for two night. Please click translation function on the upper right side of the screen.
沖縄県民がもっと離島に親しめるようにと旅費の8割を負担してくれる「島あっちぃ」という制度を使って南大東島に行った記事を以前書きました。しかし島あっちぃの旅行プラン以外にも星野洞や地底湖探検に行ったりして、それもとても面白かったのでもっと詳しく南大東島について書いてみました。
大東島の2つの別名「ウフアガリジマ」「ボロジノトウ」
大東島の別名は2つあります。1つは日本名の「大東島」の由来になった、古くから沖縄本島に住んでいた人が付けた「ウフ(はるか遠くにある)アガリ(東の)島」です。 もう1つは「ボロジノ島」で、これは19世紀前半に大東島を発見したロシア海軍のボロジノ号にちなんで命名され、英国海軍の海図や欧米の地図に登場しています。
大東島の成り立ち
沖縄本島から東に約340㎞離れた所にある大東諸島(北大東島、南大東島、沖大東島)は他の大陸と一度も陸続きになったことがないので地質学的にも沖縄本島と異なっています。言い換えれば植物は鳥や風によって運ばれてきたものだけで、生き物は空を飛んできたか海を渡って来たものしかおらず、長らく陸の孤島として独自の進化を遂げ続けてきた島です。
大東諸島の成り立ち
その起源は今から約4800万年前で、現在のニューギニア諸島付近で火山が噴火し、島の原型が誕生しました。フィリピン海プレートに乗って北上を続けていた島は、約4200万年前に沈下し海に沈みました。沈むのと同時にサンゴ礁の堆積物が積み重なり続けて、リーフ(環礁)を作りました。海の中で約4000万年前に頂上が2つに分かれました。その時に北大東島と南大東島の原型ができたのですが、その間には1000~2000mほどの水深があると言われています。その後約600万年前にプレートの運動が西方に変化します。この方向転換で透明度が高く光合成しやすい温暖な気候に変化した為にサンゴ礁が成長しやすい環境に変わりました。(上の図は北大東村公式ホームページよりお借りしました。)
隆起環礁(りゅうきかんしょう)
元々リング状(環礁)にサンゴ礁が積み重なっていた土地が隆起した為、海岸付近の標高が最も高く内陸に進むほど島の中央が窪んで低くなる皿状の形をした島になりました(下の図参照)。これは典型的な隆起環礁として世界の地形学の教科書で説明モデルにもなっています。(以下の図は北大東村公式ホームページよりお借りしました。)
ちなみに南北大東島から太平洋側に約100km離れている沖大東島(ラサ島)も同じプレートに乗って隆起した島です。三つの島は現在もなお一年間に約5cm~7cmずつ沖縄本島へと近づいています。北大東島、南大東島は有人島(ゆうじんとう)ですが、沖大東島は無人島で、ラサ工業の私有地です。戦前はリン鉱石を採掘し、人口も数千人いましたが敗戦後は無人島になり、米軍による射爆撃訓練に使われていた歴史があります。
南大東島への行き方
沖縄本島から南大東島へは飛行機とフェリーの2つの方法で行く事が出来ます。
南大東島の回り方(1日目)
私は島あっちぃという離島支援プランで南大東島に行ったのでイベントのガイドさんが空港まで迎えに来てくれましたが、大体どのお宿でも基本的にはお願いすれば空港や港まで迎えに来てくれます。
私は天皇陛下もお泊りになられたというホテル「よしざと」に泊まりました。ホテルにチェックインしてお部屋に荷物を置いたらお昼ご飯を食べに出かけます。ホテルのすぐ近くにある冨士食堂へ大東寿司を食べに行きました。
冨士食堂
大東島といえば大東寿司と大東そばが有名です。大東寿司とはみりん醤油のタレにサワラやマグロを漬け込んだ握り寿司。沖縄本島でも「大東寿司」として売っていますが島のおばあ(おばあちゃん)達に言わせるとシャリの甘さが違う(大東寿司の方が甘い)との事です。漬けにされたネタはねっとりと甘く、独特の食感が美味しかったです。また大東そばは、いつも食べなれている沖縄そばと似ていますが卵焼きとかまぼこがのっているのが大東らしいです。
お昼を済ませたらホテルまで戻り、地底湖探検ツアーのお迎えを待ちます。
地底湖探検ツアー
ホテルから事務所に移動したら用意してくれたツナギや長靴に着替えます。鍾乳洞の中は湿度が高く汗だくになるので着替えが必須でした。また写真はガイドの東さんが取ってくれて滞在中にDVDに焼いてくれました。(ツアー料金に含まれていました)
南大東島は沖永良部島の同様にサンゴ礁が隆起してできた島で島の地下にはたくさんの鍾乳洞が眠っています。そして濡れずに短時間でいける地底湖ツアーがあったので申し込みしましたが、とても良かったです。南大東島のかつては子供だった島のおじいたちはこの鍾乳洞で鍾乳石をポキポキ折ったり、音を鳴らして遊んだそうです。そんな昔話を聞きながら貴重な鍾乳石を見たり、地底湖のお水を(少しだけ)飲んだりできるのもこのツアーの楽しみ方です。
私はこの南大東島の地底湖探検ツアーが地下をめぐる初めての体験だったので、すっかりその魅力に取りつかれました。後に、沖永良部島ではもう少しハードなタイプのケイブツアーにも参加するきっかけになりました。
地底湖探検は約3時間。終了時点で15:30ぐらいだったのですが、時間のない弾丸ツアーの私はもう少し観光地を回ります。
海軍棒と東海岸植物群生
私が南大東島に行く直前に台風のような大雨が降り、海が大荒れしました。船が流されて壊れて打ち上げられるのは珍しくないそうです。
このすぐ近くにあるのが海軍棒。南大東島にはプールがないので島の子供たちの為にダイナマイトで爆破して岩をくりぬいて作った天然プールです。
またこの近くには絶滅危惧種であるボロジノニシキソウやアツバクコなどが生えている東海岸があります。海岸に生える植物は地味だけどよく見るととてもかわいらしいです。
バリバリ岩
フィリピン海プレートに乗って今も移動し続けている南大東島ですが、それを証明しているのがこのバリバリ岩です。諸説ありますが南大東島は三つに分断されるような力が働いており、地殻変動の影響で地層に歪(ゆが)みができて巨大な岩盤の真ん中が割れて人一人が通れる道ができた場所があります。島の人はこの場所を「バリバリ岩」と名付けました。道の両端にそびえる岩壁は、見上げると高くすごい迫力です。
実はこのバリバリ岩の先には洞窟があって、とても神秘的な空間が広がっています。拝所があって、珍しいレインボーストーンなども見る事が出来ます。かなり暗いので懐中電灯が必要ですが隠れたおススメスポットです。
レインボーストーン
南大東島は古大東石灰岩でできた島ですが、所々にレインボーストーンと呼ばれる縞状のもの含まれています。古大東石灰岩の割れ目に赤土や炭酸カルシュウム(貝化石、有孔虫)ウニの破片などが入り込んで茶色をベースとした赤、青、黄、白などの色が虹のように縞模様を作っているのでレインボーストーンです。島外に持ち出しは禁止ですが、南大東島港や郵便局の壁、島まるごと館などでも見る事ができます。
南大東港
南大東島をフェリーで訪れると着岸するのが南大東島です。南大東島は陸の孤島と呼ばれるようにフェリーは直接船着き場に寄せる事が出来ないため、荷物も人も船からゴンドラに乗せて南大東港にあるクレーンを使ってゴンドラを運びます。
私が滞在していた時は波が荒すぎて欠航してた為見る事が出来なかった(下動画)のですが、今度は晴れた日に時にフェリーで来てこのクレーン車に乗ってみたいです。
さて、そろそろ夕食の時間が近づいてきたのでホテル「よしざと」に戻らねばならないのですが、最後にもう一か所だけ巡ります。
大東神社
大東神社はホテル「よしざと」のすぐ裏にあります。八丈島からの開拓者が建てた神社なので沖縄の神様ではなく天照大御神が祀られている珍しい神社です。他にもダイトウコウモリたくさん生息しているらしくが観察しやすいそうです。
ホテルよしざとの夕食
ホテルに戻って食事を取ります。海が大荒れだったのでお魚料理は少なめです。デザートは沖縄らしくパパイヤ―です。
すこし部屋で休憩したら今度は夜の街へ出かけます。南大東島は離島ですが、島はサトウキビで潤っていて、外国人研修生も多いので飲み屋は少ないながらもそれなりに流行っています。
この日の夜は20時頃から早々にスナック街へ出かけたのですが、さすが外国人労働者がたくさん来ている島だと思ったのが、店のメニューにフィリピン料理で有名な「アドボ」がポテトサラダや肉じゃがに並んで普通に書かれていたこと。たくさんの人たちがこの島の労働を支えているのだなと酔っ払う頭で思いました。残念ながら写真もなくお店の名前も思い出せないのですが、昭和のスナックって感じでとても居心地がよかったです。21時ぐらいから人が入り始めたのでもう少し遅い時間に行った方がもっと楽しめたかもしれません。
南大東島の回り方(2日目)
ホテルで朝食をとったらこの島で一番有名な星野洞に行きます。
星野洞
星野洞は常に開いているわけではないのでまずは市役所に電話して予約を取らねばなりません。そして星野洞のすぐ近くにある受付で支払いを済ませて音声案内のタブレットと懐中電灯を受け取ったところで、初めて中に入ることが出来ます。鍾乳洞は空気に触れると酸化が始まり、本来真っ白な鍾乳石が茶色に変わってしまう為、星野洞の入り口には分厚い扉がついています。その中は湿度がものすごく高いので冬でも半袖で過ごせるほどです。その暑さと引き換えにアジアで一番美しいといわれる鍾乳石を見る事ができます。
島のお散歩から戻った後は、島あっちぃのプログラムに参加します。ダイトウカボチャの収穫のお手伝いをしたり、サトウキビ畑を見せてもらったりしました。
ここで島のおばあたちがとても素敵なおもてなしをして下さったので実質ここで頂いたのがお昼ご飯となりました。このダイトウカボチャは東京で高級カボチャとして売られているそうで、上品な甘さでとても美味しかったです。
星野洞から出た後は再び島あっちぃのプログラムに参加して島のおばあたちと一緒に大東寿司やなぜか「ピタカ」を作りました。南大東島のおばあたちは沖縄出身の人も多くて地元の話などで盛り上がりました。この島ではカボチャ以外にもトウモロコシを作っているそうで、それも東京では高級トウモロコシとして売られているそうです。沖縄らしく田芋も用意してくれていたのですがこれも美味しかったです。ラム酒なども用意してくれたのでおなかいっぱい食べて適度に酔っ払って、かわいい島のおばあたちとゆんたく(お喋り)しました。
お腹いっぱいになったので腹ごなしに島内を散歩がてら、南大東島で一番大きな湖である大池を見にいきます。大池には大池を含むカルスト湖沼群があり、湖の表面は淡水で下の部分は海水です。湖底で海とつながっているため潮の満ち引きもあります。
大池には展望台があって野鳥観察もできます。大池にあるオヒルギの群生は国の天然記念物に指定されています。 オヒルギを始めマングローブの森は神秘的な雰囲気です。
大島に行く道すがらにはあちこちにサトウキビ畑やパパイヤ畑があって、ただ歩いて見て回るだけでとても楽しいです。
台風でなぎ倒されながらも成長を続けるサトウキビ。
逆に南大東島がお椀状になっていることがよく分かる島の真ん中に生えるパパイヤ―は曲がっていません。
途中で雨に降られたりしながらもいったんホテルに戻り、着替えたら南大東島で是非食べたい食材を食べる為に出かけます。
飯処 NOMO
私が食べたかったのは深海魚「ダルマ(インガンダルマ)」です。この魚はくさん食べたらお腹を下すけど一回食べたらその味が忘れられないぐらい美味しいそうです。しかし残念ながら荒波の為漁船が出せないので入荷してないとのことでした。そしてそのお店は満席で入れなかったのでプラプラ歩きながらお店を探しました。
そこで見つけたのが飯処 NOMO。居酒屋ですが、奥の座敷では高校生ぐらいの女の子たちが女子会を開いていました(ノンアルコールでめちゃくちゃ盛り上がっていました)。
残念ながらこのお店でも「ダルマ」はなかったので、お造りの盛り合わせと島の名産ラム酒をオーダー。大東寿司を食べた時も思いましたが、サワラもマグロもねっとりした食感でこれはこれでとても美味しかったです。そして本場で飲むラム酒は香りが甘くていくらでも飲めそうですが、結構アルコール度数が高いので酔っ払いました。
一日中歩き回ったり、たくさんラム酒を飲んで酔っ払ったのでホテルに戻ったら倒れるように眠りました。
南大東島の回り方(3日目)
3日目の朝は早起きしてホテルで朝食を取ったら台風情報で有名な場所に出かけます。
南大東島地方気象台
台風情報の中継地点として有名な南大東島地方気象台は地方の離島でありながら観測だけでなく、予報も行うとても重要な役割を担っています。その観測手段の一つであるゴム気球を飛ばすところを毎朝見る事ができます。
この観測所の近くにテリハボクの街路樹がたくさんあったので実をたんまり拾いました。
このテリハボクの実の穴を利用して花瓶に見立てて今も花を飾っています。
ホテルで朝食を済ませたら沖縄へ帰る為に飛行場に向かいます。島あっちぃの最後のミーティングは空港内にあるカフェだったので、ここで最後の南大東島の食べ物「水芋まんじゅう」を注文。水芋とは田んぼで作られる芋である田芋の事。もっちりとした食感にあっさりした餡が食べやすくて美味しかったです。
お天気にあまり恵まれませんでしたが、沖縄とは違う植物や動物をたくさん見る事ができた南大東島。心残りはフェリーのクレーン吊り上げを見れなかったことと、深海魚のダルマを食べる事が出来なかったことなので、またリベンジしたいと思います。