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バスキアの作品130点が一度に見られるバスキア展ーメードインジャパン【東京】

 

Basquiat’s words “Every line means something." # Arts Information of Tokyo. Please click translation function on the upper right side of the screen.

 

バスキア展に入場するまで

六本木駅を降り、六本木ヒルズまで来たのは「バスキア展メードインジャパン」の最終日に行く為です。

 

 

美術館前まで来るとすでに入り口に行列が出来ていました。

 

 

私が到着したのが15:00頃で、その時点で180分待ち。行列は入り口だけではなく地下まで続いており、当日チケット購入者はなんと210分待ちと言われました。

 

 

しかし、もう二度とこれだけたくさんのバスキアの作品を一度に見る事は出来ないかもしれないと長蛇の列の最後尾に並びました。私が並んだ後もどんどん後ろに列は伸びて行きました。そして実際にはチケット売り場に到着したのが16:20。この看板を見れるまで80分かかりました。

 

 

そこからチケットを買うまで10分(笑)

 

 

更に展示室に入るまで1時間はかかると言われ、また列に並びました。結局入ったのが17:40分。最初に並び始めてから160分でした。210分よりは早かったですがなかなの待ち時間でした。

 

150点を一堂に会したバスキア展メードインジャパン

人数制限されていることもあり、展示室の中は混んでいるものの作品が見られないほどではありません。音声案内は無料で貸し出されており、声のナビゲーターは吉岡里帆さんです。撮影可能な作品も多く、絵が持つパワーが力強いので目と脳がふらふらになる感覚がずっとしていました。

 

 

前澤社長がサザビーで123億円で落札したこの作品はあまりにも有名です。骸骨、王冠、重ね描き、数字や文字、色彩どれもバスキアらしい作品だと私も思います。

 

 

黒人アーティストと呼ばれることを嫌ったバスキアは「自画像」というタイトルなのに自分の顔は描いていません。

 

 

「消防士」は普段は北九州市美術館に展示されています。

 

 

バスキアは作品の中で世相を風刺していますが、これは「チューイングガム」というアメリカで生まれた物なのに、なんでもかんでも「メードインジャパン」がよしとされていたことを風刺したものといわれています。

 

 

ウォークマンをした骸骨が描かれたメードインジャパンと題された2作品。

 

 

バスキア展は日本初の大規模展覧会ですが、バスキア本人についての説明はほぼされていません。作品にタイトルがない物が多く、一つのテーマに沿って描かれてないものも多いので見る人が自由に感じられるようになっています。

 

バスキアについて

ハイチ出身の父とプエルトリコ出身の母の間にジャン=ミシェル・バスキアは誕生し、ニューヨークのブルックリンで育ちます。

7歳頃には歴史や詩、文学などを英語・フランス語・スペイン語それぞれの言語で読んで理解していたので、交通事故で入院している時に母親から与えられた「グレイの解剖学」もバスキアに大きな影響を受けます。

17歳の頃には友人のAl DiazとともにSAMOを名乗り、ニューヨークの街中にスプレーを使用したグラフィティを始めます。路上でTシャツやポストカードを売って生活費を稼ぎ、友人宅を泊まり歩きながらありとあらゆるものに絵を描き続けました。またその頃にSoHoのレストランにいたアンディ・ウォーホルにハガキを売りつけています。

20歳の時ニューヨークの展示会にSAMO名義で作品を展示します。この事がきっかけでその名が知られるようになり、バスキア名義でも作品を発表を始め、初めての個展を開催、精力的な活動を行います。

21歳にはアメリカを始めイタリア、スイス、オランダでの個展も成功させ「Neo-Expressionist(新表現主義、新表現主義者)」と形容されます。

22歳にアンディ・ウォーホルが所有するビル(57 Great Jones Street)に仕事場と生活の場を移し、ウォーホルとバスキアは一緒に仕事をし、お互いの肖像画を描いたり、アートイベントに出席したり、人生や芸術の哲学について定期的に語り合っていました。

23歳の時クリスティーズのオークションで、Untitled (Skull)が19,000ドル(約212万円)で落札され、翌年にはNYタイムズマガジンの表紙に登場しますがこの頃から作品を勝手に持ち出されて人間不信に陥りはじめます。またウォーホルとの共同作品を作りますが、評論家には酷評され、バスキアは「作品が売れなくなったらどうしよう」という不安に襲われるようになり薬物に手を出し体調が悪化し始めます。

バスキアが26歳の時、父と慕ったウォーホルが逝去し更に精神的に追い詰められていき27歳の時に薬物過剰摂取で死亡。

 

 

ホームページ

 

アクセス

名前:森アーツセンターギャラリー
住所:東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー

特別展開催中のみ開館。常設展はありません。

東京メトロ日比谷線「六本木駅」1C出口 徒歩3分(コンコースにて直結)
都営地下鉄大江戸線「六本木駅」3出口 徒歩6分「麻布十番駅」7出口 徒歩9分
東京メトロ南北線「麻布十番駅」4出口 徒歩12分

 

 

Posted by hana