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沖縄の本当の神話2【沖縄独自の神話~琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)七御嶽(ななうたき)】

2021年4月13日

 

沖縄独自の神話ー琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)七御嶽(ななうたき)

現在に伝わっている琉球神話は、ニライカナイの太陽神からアマミキヨとシネリキヨが島作りを命じられて琉球王国を作ったとされています。(ニライカナイなどについて詳しくは下記リンクを参照にしてください。)

 

アマミキヨとシネリキヨは琉球の地に降り立った後、9つの聖地と7つの森を作りました。そして森の事を御嶽(うたき)と呼び、7つの森(安須森(アスムイ)御嶽、クバー御嶽、斎場(セイファー)御嶽、薮薩(やぶさつ)御嶽、雨粒天次(アマツヅ テンツギ)御嶽、首里真玉森(シュイマダムイ)御嶽、クボー御嶽は琉球開闢七御嶽として今も大切にされています。

 

1.安須森(あすむい)御嶽

国頭村(くにがみそん)辺土(へど)にあり、アマミキヨが最初に聖地として作った場所が阿須森御嶽(アスムイウタキ)です。

 

2.クバー御嶽

琉球王国が城を構えていた今帰仁(なきじん)村今帰仁城(なきじんぐすく)内にあります。観光で今帰仁城に来る人は多いですが、クバー御嶽に行ったことがある人は殆どいないと思います。ひっそりと存在する入り口から登ると30分ぐらいで頂上に出ます。

クバー御嶽、クボウ御嶽、今帰仁城

訪れる人が少ないためか手入れはされていないので草が鬱蒼と生えています。草の間から辛うじて伊江島が見えます。

クバー御嶽、クボウ御嶽、今帰仁城

 

3.斎場(セイファー)御嶽【南城市知念】

現在でも沖縄一のパワースポットと呼ばれ、観光地として多くの人が訪れているのが斎場御嶽(セイファーウタキ)

琉球王国を統治した第二尚氏時代に琉球国王と聞得大君(キミエノオオギミ)を筆頭にアマミキヨが降臨した聖地である久高島の方を向かい代々儀式をしたと言われています。

 

斎場御嶽で行われた儀式

斎場御嶽が最も大事な聖地と言われるのは聞得大君(キミエノオオギミ)が琉球の創造神キンマモン(君真物)と【御新下り(うあらうり)=聖婚(神婚)儀礼】を執り行うからです。この聖婚の儀式を行うことで聞得大君(キミエノオオギミ)は霊力を身に宿し、神になります。神になった君得大君(キミエノオオギミ)は琉球国王と共に琉球王国を治めたとされています。

キンマモン(君真物)とは

「琉球神道記」に書かれているキンマモン(君真物)という神は琉球王国が完成した後、ニライカナイから琉球王国にやってきます。キンマモン(君真物)は最高の精霊という意味で琉球王国の守護神です。キンマモン(君真物)は「キライカナイノキンマンモン」、海からやってきたの「オホツカケラクノキンマンモン」の2神で1神を表しています。(琉球王権と神話の歴史地理学的研究より)

聞得大君(キミエノオオギミ)とは

神と交信して神を自分に憑依させ祭事を司る女性神官(ノロ)の頂点に立つのが聞得大君(キミエノオオギミ)です。琉球国王と琉球王国そのものを霊的に守護するおなり神と位置づけられています。

おなり神とは

うちなーぐち(沖縄の方言)でおなりとは妹の事を言います。元々琉球では女性の霊力が強いと考えられており、神に仕えるのは女性でした。またこの霊力が特に離れている場所にいる兄(えけり)に対して特に強く働くという考えられており、奄美や沖縄ではおなり神として信仰されてきました。

つまり神そのものである聞得大君(キミエノオオギミ)は妹として兄である琉球国王のおなり神になり、さらに神そのものとして琉球国王と共に琉球王国を守ったとされています。

 

4.クボー御嶽

久高島(くだかじま:南城市知念)にあります。今も、島の土地は神様のものであり、石ころ一つ持ち出しても罰が当たると言われる久高島の聖域にあるクボー御嶽。他の御嶽が観光地化して男性が入れるところも増えていますが、このクボー御嶽は今も絶対男子禁制です。島では男は漁師【海人(うみんちゅ)】になり、女は神職者【神女(かみんちゅ)】になると言われてきました。久高島で生まれ育った三十歳以上の既婚女性が神女になる儀式であるイザイホーが有名です。

 

5.薮薩(やぶさつ)御嶽【南城市玉城】

薮薩御嶽はとても神聖な場所なのですが、現在は私有地となっている為、cafeやぶさちの第二駐車場の奥の森にひっそりと存在しています。

歴史書である「中山世鑑」に旧暦の4月に行われる初穂儀礼のミシキョマという儀式には歴代の琉球国王や聞得大君(キミエノオオギミ)がこの藪薩御嶽を巡拝したと書かれているのでとても重要な場所ですが、現在は訪れる人は殆どいません。

 

6.雨粒天次(アマツヅ アマツギ)御嶽

南城市玉城、玉城グスク内にあり、その名の通り干ばつ時に雨乞いの儀式を行った場所です。

 

7.首里真玉森(シュイマダムイ)御嶽

琉球開闢七御嶽の中でアマミキヨが最後に作った御嶽が首里城の下之御庭(シチャヌウナー)の一角にある「首里森(シュイムイ)御嶽」と「真玉森(マダムイ)御嶽」です。合わせて首里真玉森(シュイマダムイ)御嶽です。

首里森(シュイムイ)御嶽は「下之御庭」にあります。首里城の建設よりも先に御嶽があったので神聖なその場所を壊さず、中に取り入れるように建てられたそうです。

首里森(シュイムイ)御嶽は首里城の「京の内」の中にある洞窟があり、雨粒天次(アマツヅ テンツギ)御嶽同様に干ばつ時には雨乞いの儀式を行ったとされています。またその洞窟は王族のお墓でもあるとされています。

 

以上7つの沖縄の聖地でした。さてこの聖地について回るのが琉球王国や琉球国王の話です。

 

琉球国王の権威

琉球国王は妹を聞得大君(キミエノオオギミ)に任命することで神と共に琉球王国を治めていました。

どういうことかというと…

琉球国王(=人間)
 +

聞得大君(キミエノオオギミ)は神であるキンマモン(金真物)と結婚する(御新下り)→霊力を身に宿し、神になる

=琉球国王は聞得大君(キミエノオオギミ)を通して神の声を聞き、政治を行うことで権威を保ったと考えられます。これが天と人をつなぐオボツカグラ信仰だったと考えられます。

 

オボツカグラ信仰が残らなかった理由

琉球王国時代には水平線状にある(横軸の世界)のニライカナイと天空にある(縦軸の世界)であるオボツカグラがうまく組み合わさって琉球信仰が出来上がっていました。(ニライカナイとオボツカグラについて詳しく以下をお読みください。)

 

しかし、琉球王国が滅んだ後は主に王と神のつながりを保っていたオボツカグラ信仰が薄れて行き、現在はニライカナイ信仰だけが強く残ることになったと考えられます。

オボツカグラもニライカナイも聞いたことがない言葉ですが、ニライカナイ信仰はどこかエジプトの太陽神に似ているし、ニライカナイ信仰の7回の生と死を繰り返せば神になることができるのは輪廻転生と似ています。全く違う宗教のはずなのに似たところが出てくるのは不思議で興味をそそられます。また沖縄のおじいやおばあ、歴史を研究している人に話を聞く機会があり、何か発見があったら加筆したいと思います。

2021年4月13日

Posted by hana